スペイン風邪のとき、異なる対応をした3都市の結果

みやたけクリニック院長がとても良い記事を書いています。その抜粋です。
元記事はもっと詳しいです。

http://www.miyacli.com/influenza.html

最も基本的な事は、人混みに出ない事

流行期になると、そこらじゅうにインフルエンザ感染者がいて、あなたにうつす機会を待っている状況になります。そんな中でできるだけ感染機会を減少させるには、できるだけ人混みに出ない事が重要です。反対に社会から見れば、できるだけ人混みを作らない事です。



具体的な事例を挙げましょう。1918~1919年にかけて、強毒型A/H1N1インフルエンザ、通称 “スペイン風邪” が流行しました。当時の「新型インフルエンザ」です。アメリカを起点として瞬く間に全世界に広がり、6億人の感染者と5000万人の死者(諸説あり)を出す大惨事になりました。死亡率は約8%という事になり、災害や戦争による死亡率を軽く超えてしまいます。ちなみに通常我々が(日本で)経験するインフルエンザの死亡率は0.1%未満です。いかに超怖いインフルエンザだったかわかるでしょう。


上図はこのスペイン風邪に関する、業界では有名なグラフです。1918年のアメリカ主要都市の死亡者数を週毎(週毎、ですよ!)にグラフ化したものです。図中に示した3都市を比較してみましょう。

フィラデルフィア(Philadelphia)は一気に感染爆発し、あれよあれよと死者が増え、最大1週間で5,000人以上が死亡しました。葬儀屋さんは大変だったでしょうね。あまりに死んだので人口は激減、都市は壊滅、それ以後死ぬ人すらいなくなったので、約1.2ヶ月で死亡者数は収束しました。

ピッツバーグ(Pittsburgh)はフィラデルフィア程の爆発はなく、週毎では最大でも半分程度の死亡率でしたが、流行が長く続き、結局総死亡者数はフィラデルフィアとあまり変わりませんでした。

セントルイス(St.Louis)は最初から最後まであまり死者が出ていません。ただし最後の方に小さな山があります。

この差はどこから来たのでしようか?

実はフィラデルフィアは軍の町で、当時は第一次世界大戦の戦勝に沸き、スペイン風邪の流行にもかかわらずパレードが盛んに行われました。見物客も多く出て、人混みができました。そういう集会をやめる動きはほとんど取られませんでした。→ 人混みを媒体として感染爆発を招き、病院はパンクし都市機能も麻痺しました。 → それが原因でまた相乗的に死者増加。 → 都市の壊滅に至りました。

ピッツバーグは患者が増えてきた初期にまず劇場を閉鎖させましたが、その他は閉めず、感染者が増えるに従いスポーツ大会→教会と順次閉めて行きました。しかし、学校はかなり後までなかなか閉めませんでした。もともと、新型インフルエンザ登場時には、死者・感染者は若者に多い傾向があります(これは2009年の新型でも同じでした)。結局、感染爆発のスピードこそ落ちたが、ウィルスは住民を培地として確実に生き延びて増殖、各種の人混み、中でも学校を媒体として感染者が増え、長期に流行が続いて総数では変わらない位死者を多く出しました。

セントルイスは最初の死者を出した瞬間、市長が非常事態宣言を出し、学校を含む全ての人混みを閉鎖しました。結果、感染者も増えず、当然死者も増えず、都市機能も正常のままで市民の生命は守られました。
3市の違いはこの違いです。これを見たらインフルエンザから社会を守るには何が大事か、小学生でもわかりますね。

セントルイスにはちょっと後日談があります。他都市に比べて被害が抑えられてたセントルイス市民達は、それが市長の英断のおかげである事を理解せず、経済的影響を強調して「大して被害も出てないのに何でも禁止しやがって」と市長を激しく叩いたんだそうです。このためもあって非常事態宣言は1.5ヶ月後に解除されましたが、最後死者がちょっと増えた山は、その後来たものです。 なんだか真っ当な政策取ってた総理大臣を漢字読み間違えたとか言って叩いて辞めさせたらこんななっちゃった東洋の某国みたいですネ!

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